番外編1: なぜ人は「脱力」できたと思うのか

公開日: 2015年10月28日水曜日 ピアノ 持論

こんにちは、リトピです。

記事「番外編1: 重力を利用した演奏方法の正しい解釈」でのまとめで、脱力は、実は人間が命令できない指令でした。 でも、「いや、そんなこと言ったって、私はその「脱力」を感じ取れるし、ちゃんとピアノも弾ける。それを周りに教え/伝えるのって何か間違ってます?」と、まだ思う方もいるでしょう。。。

一応断っておきますが、私は言葉狩りや言葉遊びをしているわけではありません。でも、その間違った解釈では、アナタは良くても、周りは確実に間違った理解をします。皮肉なことに、アナタのその間違った言葉を信じ続けた熱心な方々が、間違った弾き方を続け、最終的には取り返しのつかないケガをするでしょう。私はそれの流れをココで止めたい。大好きなピアノを一生涯弾き続けられる人を増やすために。

では、なぜ脱力を目指すこと自体が間違っているか、図を交えてお話しします。

「脱力」信者 = エンドゲイナー (結果主義者)

「脱力」信者は、何においても、「ピアノは「脱力」が大事。プロはみんな「脱力」している!」と豪語します。 「脱力」 = 「余分な力/無駄な力を抜く」ことのようですが、結局はどっちも一緒 (記事「なぜ「脱力」は敵なのか4: 脱力なんていらない」を参照)。どうやら彼らの頭の中はこうなっているようですね (図1)。。。

図1: 「脱力」信者の脳内
この考えがエンドゲイニング (結果主義)です(ちょっと違うかも?)。つまり、「脱力」信者は、「脱力」という結果だけを実行しようとして苦心します。え、「余分な力/無駄な力を抜く」ことがプロセスだって?でも…それをプロセスにするのであれば、「余分な力/無駄な力を抜く」ことで何を得ようとしているのですか??? エンドゲイナーである「脱力」信者は、結果ばかりを追い求め、今の自分が何をしているのか、どうすべきなのかが見えていないのです。

[プロセス → 結果]の考え方

では、考え方を変えてみましょう。プロセスは自分自身が明確に行動できるものでなければなりません。つまり「○○な感覚で」みたいな曖昧な表現はプロセスになりません。ここで、『ピアノを弾く手 ピアニストの手の障害から現代奏法まで』によると、

―手は支えられることによって軽くなる。(p.93)
だそうです。おぉ、これぞ身体・筋肉の「コーディネート」。当時はまともな考えだったんですね。いや、ただ単に言葉が一人歩きして、現在では間違った認識で広まっただけか。とにかく、これは記事「なぜ「脱力」は敵なのか6: まとめ ~打鍵後の脱力はダメ~」でお話しした通りのことですね。これを図解します。図2をご覧ください。
図2: 正しい奏法の流れ。
【腕が楽になる】 イコール 「脱力」でないことに注意!
ここで注意したいのは、腕が楽になるのは、正しいプロセスの結果であって、"腕を楽にしたいから"という結果だけを追い求めたわけではない、ということです。 なお、当たり前ですが、「その後の感覚」である周りの環境を感じる方面から、結果である「腕を楽にする」に到達することも不可能です。だって、それらを感じられるのは、腕が楽になった「結果」ですから。

そして、肩で腕を支えているだけですから、当然、「脱力」つまり余分な力/無駄な力を抜いたわけではない (むしろ必要な力を入れただけ)ですよね。恐らく、実際にピアノの弾ける方の言う「脱力」は、この正しいプロセスの結果から得られた感覚であるはずです。 そうしないとピアノは弾けないので。 では、なぜこの結果から「脱力」できたと人は思うのでしょうか。

理由: 人間のずさんな感覚意識

なぜこのとき、多くのピアノ弾きの方々は「脱力」できたと感じてしまうのか。 そう感じるのは、人間のずさんな感覚意識のせいだと考えられます。 ずさんな感覚意識とはどういうものか。人間は同じ刺激をずーっと受け続けると、それに対する感覚が鈍ってきます。 例えば、自分の家の匂い (臭い?)。他人の家に行くと臭いが気になるのに、自分の家では何も感じない。人間の感覚って実際はそんなもんです。

では本題。普段から我々は重力を受けて生きています。これって、常に起こっているので、相当意識しない限り、重力を受けていることを感じないはずです。そのため、肩で腕を支えた場合、腕は重力と、重力に対抗した肩の筋肉の力で釣り合い、腕が落ちることなく支えられます。このとき外から見た場合、腕にかかっている力はトータルで0です。これが「脱力」できたと考えてしまう理由ではないでしょうか。

「えっ、そしたら「脱力」できたと考えるのも別に間違ってないじゃん!」と思うのは、もちろんダメです。「脱力」できたという感覚は、ずさんな感覚意識から生まれたものですから、まったくあてになりません。ましてやそんな感覚を求めてはいけません。そんなあてにならない「脱力」の感覚を、「脱力」信者は周りにアドバイスしているわけですね。うーん、これはどうしたものか。。。

では。

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