番外編3: 「脱力」以外のアドバイス案

公開日: 2015年11月18日水曜日 ピアノ 持論

こんにちは、リトピです。

「アレクサンダー・テクニーク」を楽器演奏に応用させているアレクサンダー・テクニーク教師のブログを読むと、ピアノ演奏に関しての良い発見がたくさん見受けられます。その中で、大量の目から鱗を噴出させたブログがコチラ。

バジル先生のココロとカラダの相談室

このブログ中で、「脱力」に関する話題があったので、それを基に、今回は記事を書いてみます。

ピアノ界における「脱力」のおさらい

一般的な良くない意味は、とりあえず置いといて、ピアノ界における「脱力」の意味についておさらいしてみましょう。よく、以下のように言われますね。

  • 無駄な力 / 余分な力を抜く
  • 力みすぎているところの力を抜く
  • (でも、必要なところには力を入れる)
なぜか一部の「脱力」信者は、「必要な力」には特にフォーカスしません。力を抜くだけでいいなら、ピアノを弾かず布団にでも入ってそのまま寝てください。。。

アドバイスとして、一部の「脱力」信者は、問題のある部位に対して「脱力」つまり「力を抜け」としか言いいませんが、この「脱力」という言葉で全く議論されないのが「なぜ無駄な力 / 余分な力 / 力みすぎが発生してしまっているのか」ということ。その無駄と呼ばれる力、自分の意思で入れてます?だったら、ただ単に力を入れようとしなければいいだけなのでまったく問題なし…なのですが、自分の意志とは反して、変な力みが出ているから困っているんですよね?それが抜けないから悩んでるのに。。。

なので、「脱力」なんて、まったくアドバイスになっていない。「力を抜け」という命令は人間には不可能なのですから。(詳細は、記事「番外編1: 重力を利用した演奏方法の正しい解釈」を参照)

無駄な力 / 余分な力 / 力み の発生理由

これは、記事「なぜ「脱力」は敵なのか3: 余分な力はなぜ発生するのか」でお話ししたように、結論は「正しい動作ができていないせいで身体にかかる負荷に対抗しようとして支えている、もしくは動かしている力」と、私は考えていますが、これを、バジル先生が以下のようにわかりやすくまとめてくださっています。

  • やろうとしていることが必要としている力より「少ない」力
  • やろうとしていることが必要としている力を出すべき場所と「ちがう場所」の力
  • やろうとしていることが必要としている力を出すべきタイミングと「ちがうタイミング」の力
  • やろうとしていることが必要としている力を出すべき時間と「ちがう時間(長過ぎる/短すぎる)」の力

  • (参考: なぜ、力を抜こうとしてもうまくいかないの?
この最初の部分である「やろうとしていることが必要としている力より「少ない」力」が本当に「力み」の原因だとすると、「脱力」はむしろ間違ったアドバイス、ということになります。力を抜けば抜くほど「力み」が発生する。この場合、本当にこんなこと(番外編2: 「脱力」というワードは危険)になるかもしれません。。。

答えは「脱力」ではなく「適力」

また、バジル先生のブログでは、「肩の力が抜けていない」と教師から指摘を受けたバイオリン弾きの方に、いろいろアドバイスをしています。(参考: 「肩の力が抜けていない」と指摘されて悩んでいる….どうしたらいいの?)このバイオリンの教師、生徒がいろいろ質問しても「研究してきなさい」や、「重くなる(特に腕が)=脱力が進んでいる=良い」などと言っていたようですね。これ、「脱力」信者のいい例だと思います。

このバイオリン弾きの方とバジル先生とのやり取りの中で、こんな会話が出てきます。まずはバイオリン弾きの方の言葉。

まさにおっしゃる通りだと感じる反面、世の中で相反するような意見が飛び交っていることについて、
もう少しだけ掘り下げてお尋ねしてもよろしいでしょうか。

(中略)

「力を抜こう」とするから、混乱が起きやすいのだというお言葉についてです。これは私の場合にはとても当てはまっていると感じます。
「力を抜こう」とすることで、物事が向上する人が多いからこそ、そのような言葉や指導がこれだけ広く言われているのだと思うのです。
そして、バジル先生の回答がコチラ。
うまくいっているとき、主観的には「ラク」な感じがします。
力みがないからです。
そこで、その「力みがない感覚」を作ってしまおうとして、脱力をしようとしはじめてしまいます。
しかし、うまくいったのは脱力ではなく「適力」のおかげなんですね。すごくラクで力みはなかったかもしれないけれど、ものすごく力を使ってはいたかもしれないのです。
結果として体験した感覚を再現しようとすると、混乱しやすくなります。
「うまくひけた」という結果に着目し、そこにいたる過程=具体的なアクションを理解し、それを実行していくようにするわけです。
やはり、一部の「脱力」信者は、「力みのない感覚」という結果だけを得ようとするエンドゲイナー (結果主義者)みたいですね。(詳細は、記事「番外編1: なぜ人は「脱力」できたと思うのか」を参照)

でもこれ、私がずっと気になっていた「脱力」と私の持論の差異がわかったかも。実は、「脱力」信者も、私の持論も「ラク」で「力みがない感覚」を追い求めている。でも答えは、「うまくいったのは「脱力」ではなく「適力」のおかげ」だと。(詳細は、記事「番外編2: 正しい解釈をピアノ打鍵へ応用」を参照)

うん、結構スッキリした。ここでいう「適力」というのは、ほかでもない、身体・筋肉の「コーディネート」なのですが、それよりもシンプルでよい言葉だと思いませんか?これからこの言葉も使っていこうかな、と思います。

アドバイスをする、ということ

もちろん、アドバイスに誤解はあってはいけないですが、人間ですから間違うこともあるでしょう。でも、バジル先生が言うように、これだけは心がけてほしい。

要求を実現する方法まで責任を持って伝える
引用: 力みが抜ける「ワード」
この意思さえあれば、「脱力」、つまり「力を抜け」というよくわからないアドバイスだけで終わらないはず。 大事なのは、「どうすれば「ラク」で「力みがない感覚」になるか」をキチンと説明することだと思います。

では。

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